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さとりをひらいちゃったのかもしれない(5)

自分の思考(エゴ)は自分自身ではない、ということが実感できたろうか?そうはいってもしかし、なかなか難しいことは事実である。どういうわけか我々は、なにも考えていない時間があると、「いけない!いま、ぼーっとしてた」と自分を戒めてしまう。授業中や仕事中に窓の外を流れる雲にうっとり気をとられていると先生や上司に叱られてきた「しつけ」が、染み込んでしまっている。思考から離れて「ぼーっ」とすることを許されず、常に「人に負けないように」「叱られないように」と打ち込んでいると、ついには本来の自分自身を失い、気負いのない楽しい生き方からはずれてしまうのだが、残念なことにその状態を世間は「ほめる」のである。それもそのはず。現代社会を支配しているのは各自の思考が束になった「巨大な思考(エゴ)」だからである。「窓の外を見てごらん。今日はいい天気だから、国を挙げて休日にしてみんなでのんびりしましょう」などということには、絶対に絶対にならないのである。
たとえば。理由もなく仕事を休んでのんびりしたい、とふと思ったとする。「そんなことをしてたら社会から落伍して路頭に迷う!」と叫ぶ思考をねじふせて会社に電話して、電話口の上司あるいは同僚の「え?」という冷たい声にめげずに、休む。それでもあなたが思考に支配されていたら、せっかくそうしてまで取った休日も、しょっちゅう「休んでよかったのかな?」という思考が作り出す罪の意識に邪魔されるのである。思考に支配されている人生は、しんどい。
「でも。。やっぱり、自分の本当の声より思考のほうが正しそうだ」と思ったあなたには、これ以上申し上げることは何もない。それなら思考に支配されたほうが、いい。
ここからは、思考から逃れられないまでも、せめて自分の思考を観察したい、という人のために「思考の特徴」に関するトールの解釈を、私なりに述べてみたい。
まず。なんども言うが、思考は常に「怖れ」をあなたに与える。思考が与える「怖れ」は目前の危険に対するものではない。(いきなり熊が目の前に現れたときの怖れは、ちゃんとあなたの本能が知らせてくれる。それは体の別の部分が「必ず」教えてくれるのである。)思考は「これから起こるかもしれないこと」に対してあなたに「怖れ」を与えるのだ。あなたは「いま、ここ」にいるのに。たったいま「こんなことがしたい!」と思ったのに、思考は「そんなこと必ず失敗する」と言うのである。まだやってもいないのに。たったいま、「のんびりしていい気分だ」と思っても、思考は「そんなことしていたら他の人に負けるぞ。やるべきことがあるのでは?」と言うのである。あなたは「いま、ここ」にいるのに、思考にむりやり「ありもしない未来」を見せられている。しかもネガティブな未来を。このギャップがあなたに「不安」を与える。だから思考にのっとられた人は「常に不安」なのである。
逆に言えば、将来や外界への不安がなくなれば、思考が作り出すエゴが消滅することになる。「怖れ」とは思考が操るエゴが必死に「エゴをお忘れなく!」とアピールするために繰り出してくる爆弾のようなものなのだ。だから常に思考が送り込む感情は「ネガティブ」である。それだけのこと。そんなものを本当の自分だと勘違いしてたらえらいことになる。ネガティブな感情は、本当の自分の感情ではないのだ!(人間とは本来、幼児のように楽天的なものである。)
思考が作り出すエゴは、持ち主が「そんなもの本当の自分じゃない」と気づけば、あっという間に消滅してしまうことをよくわかっている。エゴがない状態を「さとり」というなら、「そんなことは普通の人には起こらない」と必死で持ち主にアピールしなければならない。なので、どんなときでも思考がフル回転して人間をあやつろうとしているのだ。
議論に勝たないと気がすまない人、がよくいる。あるいは人の話の腰を折って、自分の話しかしない人。この習性をトールは「自分の思考の防衛する目的」によるものだとする。自分の思考を防衛せずにいられないのは、思考を本当の自分と錯覚しているからであり、思考にすがりついているエゴの恐怖に由来するものである。エゴは存在価値を「頭の良さ」「自分の主張の正しさ」などで測っているので、考えが間違っていると証明されたり否定されようものなら、大変なことになり、消滅の危機にさらされるのである。なのでエゴと一体化した人間は、「絶対に負けるわけにはいかない」。そして、自己防衛的な行動を取る。世の中の争いはすべてこれが基になって起こっているわけである。もちろん、戦争も。残念ながら、世界中のほとんどの人間は無意識にエゴに支配されてしまっている。
思考を、ほんとうの自分と切り離してしまえば、議論などには興味がなくなり、自分が正しいかどうかなどどうでもよくなる。議論に勝っても負けても、本当の自分とはなんの関係もないのだから。自己防衛的な行動を自分がしているなと感じたら、「あ!またぞろ思考が操ろうとしているぞ」と気づくようにしたい。本当の自分は誰かに勝ちたいわけでもないし、人間関係を破綻させたいわけでもないはず。
思考に支配されなくなると、実に平和な毎日が訪れる。それは決して、負けたということではない。というか、勝ち負けなどという概念のない、のんびりした世界がおだやかに待っている。その気になりさえすれば誰でも「いますぐ」その世界に行けるのだ。
次回は思考とひとつにならないための重要なポイント、「時間の概念」について。(つづーく)

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コメント 3

ロニ

ミョンミョンほんまに文章うまいなあー!わかりやすーい!
自分の中の決め事や常識に則って生きて来たけど、それ全部他人の価値観やったと気がついたときはビックリしたよ。
by ロニ (2013-12-15 17:22) 

とく

南さん☆
「さとり」シリーズ、とても興味深く読ませて頂いてます。

本当に、深いですね。
でも分かりやすいです!

ああ、まさに私、何て思考づけの日々を過ごしているんだろうと、とても心にぐぐっと来ました。
ずっとずっと、そうやって生きてきたから、しんどいんですね。
ちゃんとしなくちゃ、負けてはだめだ、もっとがんばらなくちゃ・・・。

思考にのっとられて、険しい顔して生きてる気がします。

南さんのピアノを聴いてる時は、あんなに無心でわくわくできるのに!

思わず初めてコメントしてしまいました☆
by とく (2013-12-17 02:30) 

MINAMI

書き込みありがとうございます。
すこしでも自分の思考を観察できるようになればいいですね。楽しく生きましょう
by MINAMI (2013-12-17 09:08) 

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